遺品整理と形見分け、いつどうやって始めるの?
故人をいつでも思い出し、近くに置いておきたいと思うものが形見です。そんな形見を親族や友人に分けるのが形見分けですが、いつどんなタイミングで分けるのか知っていますか?マナーを知らないために引き起こされるトラブルや注意点もあります。そこで今回は、形見分けの進め方やマナーなどについて詳しく解説していきます。
形見分けとはどういうもの?意味はあるの?
形見分けという言葉は聞いたことがあるものの、詳しくはわからない人もいるはずです。実際に経験してみないと、どういったものが形見の品になるのかもわからないでしょう。そこでここでは、形見分けがどういうものか、遺品整理や相続との違いも説明していきます。
そもそも形見分けとは?遺品整理と相続と何が違うの?
まず形見分けとは、故人の愛用品を手元に置いていつでも思い出に浸れたり、故人のことを考え、思いをはせたりするためのものです。同じような言葉に遺品整理や相続があります。遺品は亡くなった人の所有物のことで、相続は遺品を相続人で分けるという意味です。
そのため、形見分けは遺品や相続と若干意味合いが違います。形見分けには亡くなった人との思い出だけでなく、その人の思い出も引き継ぎ分かち合う意味もあるため、グループ分けをするとすれば、遺品整理の中に形見分けがあるイメージです。
形見分けをする人はどんな人?
形見分けする相手は、親族以外にも亡くなった人と親しかった友人が挙げられます。亡くなった人より目上の人への形見分けは失礼とされ、形見分けしないのが通例でした。しかし最近は、特に親しい仲であれば、目上の人へも形見分けをする場合があります。
形見分けをする相手は特に決まった人はいませんが、さほど親しくない人が形見をもらっても対処に困るので控えた方が良いでしょう。故人が生前に形見分けの意向を示していたのであれば、その気持ちに答えると良いです。
形見分けでは具体的にどんなものを分けるの?
次に、形見の品になるものを詳しく紹介していきます。「これも形見の品になるのか」と感じるかもしれません。また、贈る場合の注意点も紹介するので、ぜひ参考にしてみてください。
宝石などのアクセサリー
故人お気に入りの指輪やネックレスといった宝石や貴金属、腕時計やメガネなどのアクセサリーも形見の品となります。形見の品は、故人が普段使っていたものになるので、お手入れをしてから贈りましょう。宝石や貴金属は、好みのデザインやサイズにリメイクして贈ることもあるようです。しかし、そのままの方が良いという人もいるので、リメイクする前に必ず相談してください。
書籍
書籍には故人の趣味趣向が表れるので、亡くなった人の考えを垣間見ることができるかもしれません。しかし受け取る人が書籍に興味がなかったり、置く場所に困ったりする場合もあるので確認が必要です。
家具
故人の机やタンスなど家具も形見分けの品となるので、「故人が使っていたものを引き続き使いたい」という人におすすめです。サイズが大きい場合が多いので、贈る先に置く場所があるのか、不要でないかをしっかり確認してください。
文具
文具
いつでもそばに置いて使えるものとして人気なものが、万年筆やポールペンなどの文具です。普段使いでき、ふとした瞬間に亡くなった人を思い浮かべその余韻に浸れます。ただ、定期的にメンテナンスが必要な文具もあるので、そういったものは事前に調べて贈る人に伝えてあげましょう。
衣服
古来より衣服や着物は貴重とされ、形見分けの語源も「裾分け」からきているとの説もあります。衣類を贈る場合は、クリーニングに出すのがマナーです。衣類をリメイクし、ほかのものに作り替えて持つ人もいます。贈った相手が、使いやすい状態で持ってもらうのが重要です。形が変わったことに動揺しないでください。
写真
亡くなった人との思い出がつまった写真は、もちろん形見の品です。しかし、亡くなった人が笑顔で写っている写真を見ることで思い出し、深い悲しみに包まれてしまう人もいることを忘れないでください。
お皿やグラスなどの食器類
お皿やグラスなどの食器類も形見の品です。亡くなった人が愛用していたグラスだと、まるで一緒にお酒を飲んでいるかのように、思い出に浸れるでしょう。
形見分けを行う時期はいつが正解なのか知っておこう
いつ形見分けをするのか知っていますか?また、宗教による違いがあるのか気になる人もいるはずです。ここでは、形見分けの時期や宗教の違いでどれくらい違うのかなどを見ていきます。
基本的な形見分けの時期
仏教徒が比較的多い日本では、通常四十九日を基準にします。四十九日の法要は忌明けといい、故人が仏様のもとへ向かったと考えるようです。これによってひと区切りついたとして、法要後に形見分けを実施する人もいます。
実は宗教によって違う!神道の場合
神道の場合は、三十日祭や五十日祭に行うのが通例です。仏教の忌明けに該当するのは五十日祭で、中には三十日祭を省略する家庭があります。そのため、五十日祭後に形見分けするとスムーズでしょう。
実は宗教によって違う!キリスト教の場合
キリスト教の場合は、三十日目の召天記念日や追悼ミサを基準に考えます。通常キリスト教には、形見分けの風習はありません。そのため、どうしてもという人がいれば、検討すると良いでしょう。
形見分けの受け方とは?生前や現金で受け取れる?
形見分けの受け方について紹介します。生前に形見分けはできるのか、また現金で受け取れるのかなどを詳しく見ていきましょう。また形見を受けたものの、仕方なく手放さなければならない人への解決策も紹介します。
生前に形見分けしてもらえる?
実は形見分けは、生前に行うことも可能です。生前に行えば、贈る人も誰にどれを贈るか決められ、受ける側も比較的選びやすくなります。
しかし口約束だけで亡くなると、形見分けでほかの親族とトラブルになるかもしれません。トラブル回避のために、遺言書に記録を残してもらうのがおすすめです。高価な形見の品をもらうと贈与税の負担が必要なケースもあります。
現金で受け取れないの?
「故人にとてもお世話になった人がいるにも関わらず、形見分けの品がない」といって、現金を贈るのは本来の概念から外れています。何かお礼の品を購入して贈るのは良いかもしれませんが、現金は形見の品ではありません。
形見分けを受け取ったけど処分したい…
形見分けの品は、大切に長く使い保管するものです。そのため、形見分けの品が将来的に不要となりそうならば、丁寧に断り始めから受け取らない方が良いでしょう。仕方なく手放さなくてはならないのであれば、お寺や神社でお焚き上げしてもらうのもひとつの方法です。
形見分けを受け取ってお礼しないのはマナー違反?
なにかものをいただいたら、お礼やお返しをするのが通常のマナー。だからといって、形見分けでも同じことをしなければならないのかというと、答えはNGです。形見分けにおいて、手紙のお礼やお返しは不要ですが、その分故人を忘れずたまに思い出し、思い出に浸ることがお礼につながります。お盆や法要などに参加したり、思い出を親族や友人と語ったりすると良いでしょう。
形見分けで絶対に注意したいポイントを紹介
最後に、形見分けで絶対に注意したいポイントをピックアップします。気づかないうちにやってしまいがちなポイントもあるので、要チェックです。ポイントを押さえてスムーズな形見分けを行いましょう。
相手の許可なしに贈るのはNG
勝手な贈り側の気持ちから、相手の許可なしに形見を贈るのはNGです。形見の品によって、亡くなった人を思い出し深い悲しみに苦しめられる人もいます。形見の品がなくても忘れず想ってくれる人もいるので、形見そのものが不要だと考えている人もいるはずです。
形見分けに関してはいろいろな考え方があるため、自分の気持ちを押しつけないように注意してください。形見分けをしようか考えている場合は、事前に相談し相手の許可を取りましょう。
関係性がわからない人からの申し出は要相談
まれに、故人との関係性がつかめない人から形見分けの依頼がくる場合があります。ただ自分が関係性を知らないだけの場合もありますし、勝手に形見分けしてほかの親族ともめる場合もあるので、ほかの親族とよく協議してください。
遺産分割が終了してから形見分けをしよう
形見分けは心情面のもので、いつまでにしなければいけないと決められたものではありません。したがって、法的な作業である遺産分割が終わってから形見分けの作業に入るようにしてください。形見分けの品の中には、資産価値の高いものも含まれます。また、資産価値があるなしに関わらず、亡くなった人の所有物はすべて相続財産となるので、相続人1人の勝手な判断はできないのです。
形見分けの品物はお手入れしてから贈ろう
形見分けの品だからといって、汚れたままや壊れたまま贈るのはマナー違反。気持ち良く使ってもらえるようにクリーニングに出し、また、壊れていれば修理してから贈ってください。
形見分けの品物は包装しない
形見分けの品はプレゼントではありません。そのため包装しないで贈るのがマナーです。どうしても気になる人は、半紙や奉書紙で包んで渡すと良いでしょう。
高価なものは贈らないのがマナー
宝飾品などを形見分けする場合に注意したいポイントが、高価なものかどうか。あまりに高価なものだと、受ける側も気が引けますし、贈与税の対象となるかもしれません。形見分けによって、かえって相手に気を遣わせてしまっては本末転倒です。
まとめ
形見分けを贈る側の気持ちが強すぎると、受ける側へ負担になってしまうこともあるため、相手の気持ちをしっかり知ることが大切です。
形見の品がなくても、故人を忘れず思いをはせることはできます。残された親族や友人たちがふとした瞬間に、思い出すことこそが一番の供養となり、形見分けはそのひとつのツールと考えましょう。